“高揚とゴルフ”の歴史:葉巻、酒、大麻の交差点

社交、静寂、そして自由のために吸われたものたち

ゴルフという“高揚”の舞台

18ホールという長丁場を歩き、打ち、沈黙し、そして笑う。ゴルフとは、スポーツであると同時に、社交と内省の場である。そのためか、この紳士のゲームは、古くから“何かを嗜むこと”と深い関係を持ってきた。葉巻をくゆらせながらのプレー。クラブハウスでのブランデー。そして今、合法州を中心に広がるジョイントとCBD。ゴルフは、常に“静かなる高揚”と共にあったのだ。

スモークとスウィング──葉巻とゴルフの蜜月

20世紀初頭、アメリカのカントリークラブでは葉巻がゴルフの風景の一部だった。アーノルド・パーマーも、チーショットの合間に葉巻を指に挟み、微笑む姿が写真に残っている。葉巻はゴルファーにとって、単なる喫煙具ではなかった。それはプレッシャーから距離を置き、自分のリズムを取り戻すためのツールだった。一打一打の間に火を吸い、呼吸を整える。葉巻はスコアを競うためのものではなく、プレーを“整える”ために吸われていた。

バーディーのあとに一杯──酒とゴルフの社交史

葉巻と並び、酒もまたゴルフ場の“風景の一部”だった。とくに1950〜80年代のアメリカでは、ラウンド中のビールやウイスキーがごく自然な習慣として根づいていた。クラブハウスのバーカウンターは、もはやプレーの延長線上にあり、スコアカードを眺めながら“今日の自分”を反芻する場所だった。ブランデーグラスを傾けるのは、勝者でも敗者でもなく、自分自身と静かに向き合うためだったのだ。

時代の転換点──“大麻の静けさ”が加わる

そして現代。大麻(THC)の合法化が進む中、ゴルフと大麻が出会う時代がやってきた。コロラド、カリフォルニア、オレゴン、ネバダ──これらの州では、ジョイントを持ってカートに乗り込むプレーヤーの姿がもはや珍しくない。葉巻や酒が“外向きの社交”であったのに対し、大麻はより“内向きの静けさ”をもたらす。緊張をほぐし、雑念を静め、自然の中で自分を解き放つ──それは、新しい時代の高揚のあり方なのだ。

ジョイントは社交か、瞑想か

面白いことに、大麻を使うゴルファーの多くは、「より一打一打を大切にできるようになった」と語る。呼吸、リズム、感覚、そして風──そうした五感がクリアになり、ゲームそのものが“感覚の旅”に変わるという。これは、ただの嗜好ではなく、“パフォーマンスの一部”としての高揚と言ってもいいだろう。

PGAと“伝統の境界線”

PGAツアーでは依然としてTHCは禁止物質であり、出場停止のリスクもある。しかし、CBDはすでに解禁されており、ツアープロの間でも使用が広がっている。CBDは酒のように酔わせず、葉巻のように香らず、だが心と身体を静かに調律してくれる。この静かな高揚が、多くのゴルファーの“準備の儀式”として定着しつつある。いま、高揚とは「外へ盛り上がるもの」ではなく、「内へ整えるもの」へと移行しているのかもしれない。

ゴルフと“意識変容”の文化史

葉巻、酒、大麻。それぞれの時代、それぞれの社会背景のなかで、ゴルフは常に“人間の意識変容”とともにあった。ただクラブを振るのではなく、自己を感じ、整え、開放するための時間として。そして今、大麻はその流れの中で、新たな選択肢として静かに台頭している。高揚とは、もはや乱れることではない。それは、“静かに深まること”なのだ。