弱者を排除しない統治――プミポン国王とシリキット王妃の思想は、なぜ現代の麻合法化と響き合うのか


近年、世界各地で進む麻(カンナビス)の合法化・非犯罪化は、
単なる嗜好品解禁や新産業創出の話ではない。
その根底には、国家が「弱者」や「逸脱」と見なされた人々を
どのように扱うのかという、きわめて根源的な問いが横たわっている。
この文脈で注目すべきなのが、
20世紀後半のタイにおいて、静かに、しかし一貫して示された
ある統治の思想である。
それは、
プミポン・アドゥンヤデート国王と
シリキット王妃
が体現してきた、
「弱者を排除せず、制度の内側に戻す」
という姿勢だ。
1950〜70年代、チェンマイを中心とする北タイの山岳地帯は、
国家にとって極めて扱いづらい地域だった。
●山岳民族(モン族、カレン族など)
●国籍・法的地位の曖昧さ
●ケシ栽培や焼畑による「違法性」のレッテル
●冷戦下での共産主義・麻薬取引への警戒
多くの国であれば、
これらの条件を満たす人々は
「鎮圧」「排除」「強制移住」の対象になっていただろう。
しかし、プミポン国王が選んだのは、
力による排除ではなく、位置の組み替えだった。
国王が行ったのは、
山岳民族を善人として理想化することでも、
被害者として保護することでもない。
●違法作物を理由に敵視する → ✕
●国家と衝突しない生計へ転換する → ○
●地下経済に追い込む → ✕
●王室プロジェクトの中で可視化する → ○
これは後にロイヤル・プロジェクトとして制度化され、
代替作物、インフラ、流通、医療、教育へと広がっていく。
重要なのは、
国王が「正しさ」を押し付けなかった点だ。
彼が守ったのは作物ではなく、
人が国家から完全に切り捨てられない位置だった。
一方、シリキット王妃が担った役割は、
より生活に近い次元にあった。
王妃は、
●山岳民族や農村女性の手織り・染色・工芸
●生活技術としての植物利用
●女性の生計と誇り
を、「遅れた文化」や「貧しさの象徴」としてではなく、
守るべき知として再定義した。
SUPPORT財団に代表されるこれらの活動は、
支援というよりも、
「あなたは施される側ではない」
という明確なメッセージだったと言える。
これは現代医療や福祉で言う
尊厳重視・当事者中心主義と、極めて近い思想である。
ここで視点を、同時代のアメリカに移す。
ベトナム戦争は、アメリカ社会に
単なる軍事的敗北以上の問いを突きつけた。
帰還兵の間で可視化されたのは、
心身の後遺症、社会復帰の困難、
そして大麻を含む薬物使用という現実だった。
重要なのは、
これが「異国の文化」や「周縁的逸脱」ではなく、
自国の若者・兵士の問題として現れたという点である。
この経験は、
「禁止と犯罪化だけでは現実を処理できない」という感覚を、
アメリカ社会に深く刻み込んだ。
それは、後年の薬物政策が
道徳論から制度論へと傾いていく
心理的・社会的下地の一つになったと見ることができる。
現代の麻合法化ムーブメントが掲げる原理は、
次のようなものだ。
●完全禁止より管理
●犯罪化より制度化
●使用者を裁くより尊厳を守る
これは、
北タイでプミポン国王とシリキット王妃が示した統治と、
驚くほどよく似た構造を持っている。
共通しているのは、
「麻をどう評価するか」ではない。
排除や地下化は、社会をより壊す
制度の内側に戻すことで、はじめて管理と回復が可能になる
という判断軸そのものだ。
もちろん、
プミポン国王やシリキット王妃が
麻合法化を構想していた、などとは言えない。
直接的な因果関係を示す証拠もない。
しかし、次のことは言える。
プミポン国王とシリキット王妃が示した
『弱者を排除せず、制度の内側に戻す愛』という統治の思想は、
今日の麻合法化ムーブメントに見られる
管理・非犯罪化・尊厳重視の倫理と、
驚くほど深く共鳴している。
それは、
誰かが誰かを動かしたという話ではない。
国家が何度も失敗しながら学んできた倫理が、
別の時代・別の文脈で再発見された
という物語である。
麻合法化をめぐる議論は、
賛成か反対かという単純な対立に回収されがちだ。
だが本当に問われているのは、
次の一点に尽きる。
国家は、「正しくない」とされた人々を、
排除するのか、それとも戻すのか。
プミポン国王とシリキット王妃が示したのは、
答えではない。
しかし、
「排除しないという選択肢」が
現実的な統治として成立しうることを、
歴史の中で示した。
そしてその思想は、
今日、麻合法化という別の文脈において、
静かに、しかし確実に呼び戻されている。
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