
1945年以前の大日本帝国時代の日本は、ケシの栽培を推進し朝鮮半島及び満州(中国北部地方)を経由して中国にアヘンを売り捌いたアヘン帝国でもある。GHQの主要な目的もアヘンの栽培と販売の規制であり大麻栽培禁止はメインではない。ひとくくりに麻薬として扱われた中国にアヘン戦争を仕掛けたのはイギリスだけでなく第二次アヘン戦争といっても良いことを日本は当時の中国にしている。GHQの占領政策としては戦中日本の「阿片問題」がまず念頭におかれ,付随的に大麻規制政策がある。日本側の栽培許可の陳情を一貫して拒否したのは米国連邦麻薬局から派遣された麻薬取締官と公衆衛生福祉局だ。そして日本の敗戦後の占領政策として物資不足を念頭に天然資源局と経済科学局が介入し、妥協点として大麻の栽培は継続されたのだ。参謀本部も物資不足を懸念していた。GHQの占領政策も一枚岩ではない。喫煙者ほど禁煙の後は厳しい嫌煙家になることが多いが、アヘンの栽培と販売を牽引してきた日本の厚生省薬務課が大麻も含めた取り締まりに舵を切り、規制厳罰化の方向が進む形で現在に至っている。