“違法じゃなかったら、この子は…”

選択肢すら与えられない子どもたちと、日本の制度が向き合わない現実

「効くかもしれない。でも使えない」──母の決断

2023年、東京都内に暮らすある母親は、重度のてんかんを抱える5歳の娘のために、ある選択の前で立ち尽くしていた。医師からは、現在使用している薬剤では発作を止めることができないと告げられた。ほとんどの抗てんかん薬を試し、副作用に苦しみながらも、効果が見られない毎日。そんな中で彼女が目にしたのは、海外で承認されたCBD製剤「エピディオレックス」が、難治性てんかんの子どもに有効であったという複数の実例だった。アメリカではFDAが承認し、イギリスでも医師の裁量で処方されている。何より、これまで発作を一日に何十回と繰り返していた子どもたちが、CBDを投与されてから睡眠が安定し、発作が半減したという報告もある。母親は希望を抱き、輸入を検討した。しかし、日本ではCBD製剤は未承認医薬品であり、個人輸入には厚生労働省の特別許可が必要。加えて、その製品に微量でもTHCが含まれていれば、大麻取締法違反で摘発されるリスクすらあることを知った。もし関税で止められれば、親である自分が逮捕されるかもしれない。

「娘を救いたい。でも、そのために私が“犯罪者”になるわけにはいかない。」

そう語った彼女は、最終的にCBDの使用を断念した。そして今も、娘は毎日発作に苦しんでいる。

選択肢が“存在しない”国、日本

この母親のように、「CBDが効果を示している」という科学的根拠や他国の医療実績を知りながらも、制度上のリスクから使用を断念せざるを得ない家族が日本には無数に存在する。つまり、日本においてCBDは、「効果があっても、選べない治療」なのだ。厚生労働省は2023年に大麻取締法の一部改正に踏み切り、医療目的でのTHC使用を「検討対象」としたが、実際の制度設計や承認プロセスは依然として手つかずのまま。国内でCBD製剤が正式に医薬品として承認された例もなく、医師が処方できる体制もない。制度的な“空白”が、日々の現場にしわ寄せをもたらしている。

「法律に違反しないことが、医療的に最善であるとは限らない」

これは、ある小児科医の言葉である。科学的合理性と倫理の狭間で、医師たちもまた判断を保留せざるを得ない状況に置かれている。

科学ではなく、制度が“命の重さ”を決めていいのか

CBDによる治療効果については、すでに複数の臨床試験と国際機関の見解によって一定の科学的裏付けがなされている。WHOは「CBDは乱用性がなく、治療効果を示す」と明言し、国連麻薬委員会も2020年に規制対象からの除外を採択。世界各国が実際の医療現場で運用を進める中、日本だけが「議論すら始まっていない」状態に近い。その遅れのツケを払っているのは、制度でも政治でもない。**「選択肢を持てなかった子ども」と「動くことができなかった家族」**だ。

「もし、あの薬が日本でも使えていたら──」

そう思いながら、今日も発作を数えるしかない。それは、命が“違法か合法か”でふるいにかけられている状態にほかならない。

命の選択肢が“制度待ち”でいいのか?

技術はある。データもある。効果を証明した国もある。ないのは、日本社会における柔軟な制度、そして社会的想像力である。大麻という言葉に伴う偏見や政治的抵抗感は理解できる。しかし、その言葉の陰で、実際に苦しみ続けている命があるという事実から目を背けることは許されない。法は守るためにあるが、命を守れない法にこそ、アップデートが求められる。選択肢を与えられなかった子どもたちの未来を、これ以上奪わないために。日本に必要なのは、「違法かどうか」ではなく、「必要かどうか」で議論を始める勇気だ。