仕事とは何か


仕事とは、何だろうか。
生活のためか。
評価のためか。
社会のためか。
自己実現のためか。
多くの人は「どれか一つ」を答えにしようとする。
だが2500年前、
プラトン と
アリストテレス
は、仕事をもっと根の深いところから見ていた。
彼らの視点を重ねると、
仕事の本質は「稼ぐ」でも「表現」でもなく、
世界との関係の結び方であることが見えてくる。
意味は、仕事の「上」にある
プラトンの世界観では、
価値や意味はこの現実世界の外側にある。
善
正義
美
使命
こうしたものは、
成果や数字の中には直接存在しない。
この視点に立つと、
仕事とは
「何のためにそれをするのか」
「それは善に向かっているか」
を常に問われる行為になる。
プラトン的仕事観では、
高収入でも、意味がなければ空虚
効率的でも、正義から外れれば誤り
評価されても、魂を損なえば敗北
となる。
この考え方は、
使命感の強い職業
宗教的労働観
志を重んじる生き方
を生んだ。
一方で弱点もある。
意味が見えなくなった瞬間、
仕事そのものが耐えられなくなる。
意味は、仕事の「中」で育つ
アリストテレスは、
意味を外に求めなかった。
彼にとって仕事とは、
能力を使うこと
技を磨くこと
他者に役立つこと
その反復そのものに価値がある。
彼の倫理学では、
善い人とは「善い行為を繰り返す人」だ。
つまり仕事とは、
今日も手を抜かず
今日も役割を果たし
今日も少しだけ上手くなる
という、地味で継続的な営みである。
この視点は、
職人文化
専門職
組織労働
プロフェッショナリズム
を支えてきた。
だが、こちらにも罠がある。
上手く回りすぎる仕事は、
「なぜそれをやっているのか」を忘れさせる。
仕事は、次のどちらかに偏ると壊れる。
意味だけを求めるとき
現実だけを回そうとするとき
意味だけを求める人は、
やりがいを探し続け
納得できない仕事を拒み
結果として何も積み上がらない。
現実だけを回す人は、
成果を出し続け
評価を得続け
気づいたときには
自分が何者かわからなくなる。
これは、
プラトンだけの仕事
アリストテレスだけの仕事
それぞれの限界だ。
成熟した仕事人は、
上と下を往復している。
意味を見上げ
現実に戻り
理想を問い
手を動かし
志を確認し
数字を引き受ける。
この往復がある限り、
仕事は人を壊さない。
意味は、
現実に耐えるための理由になり、
現実は、
意味を空想にしないための重さになる。
仕事の価値は、
「何をしたか」よりも
「何を引き受けたか」で決まる。
失敗したとき
誰かが傷ついたとき
判断を誤ったとき
それでも逃げずに
次の手を選ぶ。
この瞬間、仕事は単なる労働ではなく、
人格形成の場になる。
責任を引き受けない仕事は、
どれだけ華やかでも、
人を育てない。
仕事とは、
世界からの問いに対する返答だ。
この問題を
この状況を
この不完全さを
どう扱うのか。
プラトン的に言えば、
それは「善への態度」。
アリストテレス的に言えば、
それは「行為の質」。
どちらか一方では足りない。
仕事とは、
自分の価値を証明する場ではない。
ましてや、
承認を得るための舞台でもない。
仕事とは、
意味と現実の間に立ち、
世界に対して
「自分はこう関わる」と示す行為だ。
上を見て、迷わず
下を歩いて、逃げない。
その往復を続ける人だけが、
仕事を通して
静かに強くなっていく。
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