大麻は人間そのもの。大麻のない世界に人は存在できない

麻・アダムとイブ
麻・アダムとイブ
旧約聖書の冒頭にある「創世記」に登場するアダムとイブが食べた〈知恵の実〉は諸説あるが、広く認知されているのは林檎だ。そして人類が発見して歓喜したものとして林檎と小麦と大麻が挙げられる。それは林檎の糖分と小麦のタンパク質、そして大麻の精神作用を含む有用性によるものだと考えられる。日本なら蜜柑、米、大麻ということになるかもしれない。

私たちには大麻が必要だ。それは人間の身体中にあるエンドカンナビノイドシステム(ECS )が証明している。人類が誕生する前から大麻は地球にあり、そして大麻は人類の誕生と進化、そして成長を見守り続けている。それは大麻と共に、という範疇を超え、大麻とは人間そのものといっても良い。しかし、人類が自らのルーツを忘れ、大麻をないがしろにし、大麻が悪者となった近代の「大麻空白の失われた100年間」 に人間の幸福は訪れただろうか。

人類は誕生以来、大麻と共に多くの危機を乗り越えて繁栄と発展を続けてきた。しかし、大麻をないがしろにしてきた近代社会はその繁栄と発展と比例するように絶望と矛盾、諦めと達観、そして不安に満ち溢れている。そこに未来への光は見えない。大麻は人間を縛るものではなく人間を解放するものだ。大麻なしに人間の未来はない。大麻が持続可能な人間の未来を創る唯一の解決手段だ。

「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」という有名な言葉がある。『十五少年漂流記』や『海底二万里』などを著したフランスの SF 作家で SF の父と呼ばれたジュール・ヴェルヌの言葉だ。人間には想像し実現する力がある。そしてそれは「人間が想像できることは、大麻が必ず実現できる」と言い換えても良い。なぜなら大麻なしに人間は存在しないと同時に大麻と人類は共存関係にあるからだ。

取り戻そう日本独自の祈りの文化、大麻は日本の基層文化のひとつ

物質社会の中で日本人が失いつつあるものに、かつて日本人が持っていたあらゆるものに神を感じ、自然と調和するきめこまやかな文化がある。それらは大麻と共にあった。それは大麻が日本人の暮らしと共に精神を支える基層文化のひとつとして、赤ちゃんが産まれるときのへその緒を大麻の糸で切り、麻の葉柄の産着で邪を祓い健康を願い、お食い初めに茎を箸にし、麻の実を食べ、お盆には茎を燃やしてその煙で先祖が帰って来れるように道を作り、茎を足に見立てたきゅうりの馬で出来るだけ早く帰って来れるようにし、茄子の牛でゆっくりあの世に戻ってもらうようにし、結納では「夫婦仲良く共に白髪が生えるまで添い遂げる」と言う意味を持つ〈共白髪〉として使われ、新築の地鎮祭では土地の浄化、棟上げ式にはお護りでとして、そして茅葺き屋根の土台や壁材や漆喰に使う。そして亡くなる時は棺桶に結びつけ、三途の川では杖としてあの世に向かう。生から死まで節目節目には必ず必要なものが大麻だった。

麻の葉

大麻は神の草、大麻を国草に

大麻は神の草であり国草である。ただし法的根拠はない。

日本において国歌は君が代、国旗は日の丸と制定されているが、決まったのはそれほど昔のことではない。1999年8月とノストラダモスの大予言によって地球が滅ぶと言われた月の一月後だ。また、国花といえば桜や菊がイメージされるが法的根拠はない。国鳥は雉だが1947年に日本鳥学会が選定したもので法的根拠はない。国魚は鯉だがこれは2022年に鑑賞魚振興事業組合が日本錦鯉振興会に認定書を授与した。国蝶は1957年の日本昆虫学会40周年記念大会で制定。国酒は日本酒&本格焼酎&泡盛、そして本みりんの総称として日本酒造組合中央会が決めた。国菌は麹菌と2006年10月12日の日本醸造学会大会で認定。国旗と日の丸さえ最近の話でその他は法的根拠はない。国技といわれる相撲も国技館からなんとなくイメージされるだけで法的根拠はない。なんとなく誰もが納得できれば良いのだ。大麻という一年草は歴史的な日本、日本人との関わりを考えれば国草としての資格は十分だろう。

大麻は日本発祥!?縄文時代草創期の麻縄

縄文時代草創期の麻縄
©東東京イベント情報
人類史上世界最古の大麻使用の痕跡は福井県若狭湾国定公園内にある鳥浜貝塚で出土した1万年以上前、縄文時代草創期の大麻の縄だ。そもそも縄文時代という名称は1万年前の地表から出土した土器の縄目の模様から名付けられたものであり、植物繊維で作られた縄文原体という短い縄の道具で作られるが、その多くが大麻を素材にしていたと考えられ、国立民俗博物館や縄文実験考古学者で縄文式土器をモチーフに作陶をおこなっている大藪龍二郎氏などが確証を求めて研究を進めている。

また、同遺跡からは大麻の種も出土しており、さらに秋田県菖蒲崎貝塚からは調理加工の形跡も見つかり、他にも鹿児島から北海道まで全国各地の遺跡から大麻の種が出土していて、野生あるいは栽培において縄文時代に大麻が恒常的に利用され大麻が生活の中にあったことを証明している。また、旧石器人の随伴植物として外来し栽培に繋がった可能性も指摘されている。人類最古の大麻使用の痕跡を受けて大麻は日本から世界へ分布していったという説もあるが、近年の大麻のDNA調査や考古学的調査で大麻の起源はチベット高原の青海湖周辺であると推定され、人の手によって世界中に分布していったと考えられている。
相撲

相撲は国技であり神事、相撲に大麻は欠かせない

桟敷での観戦が醍醐味の相撲の土俵にも大麻の綱を見ることができる。そして現在は紙の弊になっているが、かつては土俵の固く踏み締められた土の中にも大麻で作られた弊が納められていた。また、横綱力士の綱は約12キログラムの大麻が使用されている。銅線を芯にした大麻繊維の束に晒木綿を固く巻いた三本の綱を、力士たちが力を込めて左巻きに縒り上げてできたものだ。大麻でできた横綱は神であり神となった横綱力士と一体化しまさしく神そのものとなる。野見宿禰(のみすくね)は 『日本書紀』に登場する相撲の神様で、埴輪づくりや古墳の造営に携わった古代の豪族・土師(はじ)氏は野見宿禰の末裔であり、三社様として親しまれている浅草・浅草神社の神様のひとりで、現在の宮司も土師を名乗っている。そのような縁もあって東京都墨田区亀沢にある野見宿禰神社同様に浅草神社に参拝する力士も多いのだ。そんな浅草神社の本殿や鳥居、手水舎などには黄金色に輝く大麻の注連縄を見ることができ、日本三大祭りのひとつにも挙げられるが三社祭の際には氏子たちに担がれ町を練り歩く神輿の屋根にも大麻の繊維を見つけることができる。

注連縄

注連縄は結界でもあり神そのもの

注連縄とは結界であり神そのものでもある。そして豊穣と繁栄のを願い、その証でもある。注連縄は地域によっては稲藁であり、真菰であり、そして蛇の抜け殻であったりもする。蛇が昇華して龍を形取った注連縄もある。そんな注連縄だが国産大麻を使用したものは1割も満たずほとんどは中国産だ。それどころかビニールであることも多く、それはまさしく石油社会の象徴ともいえるが各神社の神様たちはさぞ居心地の悪い思いをしているに違いないが、神事であり神そのものでもある大麻の重要性を知らない神社や宮司も数多く存在し、神宮大麻と大麻がイメージとして結びついていない状況が続いている。なぜなら神職を育成する國學院大学や皇学館大学ですらいわゆる戦後は大麻のことを教えてこなかった経緯もある。現在、大麻の神聖についてあらためて見直しが始まり神職の勉強会なども開催されはじめたばかりだ。持続不可能な石油社会ではなく持続可能な大麻社会を目指す上でビニールではなく目指す方向を表して欲しいところだ。神様も石油と大麻、どちらに囲まれる方が居心地が良いだろうか?
天岩戸神社

天岩戸伝説にはじまる大麻の重要な役割

神社での正式参拝やご祈祷、また神職を招いての地鎮祭や神道形式の結婚式や葬式などで神職が参列者に向かって棒の先にヒラヒラの紙を付けたものをバサバサと左右に振る姿を見ることがある。穢れのない白い半紙で折られ稲妻状になったもので紙の部分を紙垂(しで)といい、紙垂を付けた棒は御幣(ごへい)という。穢れを祓うためのいわゆるお祓い棒だ。この紙は元々はすべて大麻の繊維でできていた。今でも奈良・春日大社などではすべてが大麻繊維の御幣が使われていて、参拝時に神職が振るのではなく参拝者がみずから御幣を持ち自らの手で自身の身体を撫で祓う。大勢の前で神職がバサバサと御幣を振るのは一人ひとりがやっている体であり、個人ではなく場全体を祓う神事でもある。この紙垂の原型は天岩戸伝説(あまのいわと)伝説の中にあり、岩の中に籠って出てこない天照大神(あまてらすおおみかみ)をあの手この手で岩戸から誘い出す時に、枝に木綿の布と麻の布を垂らした物を使ったことがはじまりだという説が有力だ。そして天照大神が岩戸から出てきた後は岩戸に戻らぬようしっかり大麻の注連縄で封印したといわれている。

大麻は宇宙からの贈り物、肉体を飛び出した精神世界の体験

大麻は宇宙から飛来したという説が説得力を持つほど大麻はまだまだ謎に満ちている。「大麻を吸うと、本当のことを見極めることができる。掛け値なしで、宇宙の真実を教えてくれるのだ。」と自身のエッセイ『不思議旅行案内 マリファナ・ミステリー・ツアー 』(幻冬舎文庫)で語るのはノンフィクション作家で舞台制作、出版プロデュース、音楽制作などを手掛ける長吉秀夫氏だ。大麻を嗜好してこのような想いに至る人は多く、それは神秘体験と呼ばれたり悟りや達観、異次元ワールドなどなど人によって様々だ。門をくぐる、扉を開くなど様々な表現でも表されている。そこにはワンネスと呼ばれる、人や地球との一体感やラブ&ピースなども含めてレゲエやラスタの存在、日本の神道のことや、インドのヒンドゥ教など人生観や宗教、道徳の分野にまでその理解は広がっていく。分かった気になる、分かったつもりとは少し違うリアリティを伴った体験や理解。そのような体験と理解は時に音楽や創作物などに昇華し多くの人々の心に響き大きなムーブメントを起こす。大麻のもたらす意識変容は時に社会インフラにも影響を及ぼす。ヒッピームーブメントやカウンターカルチャー、ニューエイジムーブメントといったある種の社会運動にも繋がっていく。様々な分野に多くの影響を与える植物は多くはない。大麻が奇跡の植物といわれる所以だ。

麻の新芽

想像は創造、大麻の精神的ポテンシャル

私たちは宇宙と繋がっている。そして私たちは宇宙の一部で構成されているのは間違いのないことだ。大袈裟に言えば宇宙そのものといっても間違いではない。私たちは私たちが宇宙と名付け、その中のひとつの惑星地球と名付けた球体の表層に生息しているにすぎず、宇宙全体、地球という惑星からすれば、人類誕生はごく最近の瞬きする間もないほどの時間の中にいる。宇宙の向こう側に何があるのか、逆に体内の奥底に何があるのかの全容は現代科学ではまだ解明されていない。さらに言えば宇宙のはじまりや終わりすらわからないままもしかしたら時間の流れすら幻想で、誰かの夢の中を生きているのかもしれないのだ。今後、地動説と天童説のようなコペルニクス的逆転が起こることも充分に考えられる。もしかしたら私たちの細胞ひとつ一つが宇宙であるかもしれないのだ。そうであれば私たちは気付かぬうちにそれらの細胞たちの神ということになる。想像は創造だ。大麻による意識変容はそのようなマクロとミクロの精神世界にも影響を与えるポテンシャルを持っている。

伊勢神宮

平安時時代にはじまる神宮大麻

神道において大麻が神の象徴であることは「神宮大麻」と呼ばれる伊勢神宮のお札からも見てとれる。現在の神宮大麻は御神体として杉の板が使われ、大麻用材伐始祭(たいまようざいきりはじめさい)という神事が行われた後に御神木である杉の木を伐採し、約1mmの厚さの長方形に切り取られ伊勢和紙で包んだ姿で年間約1千万体の神宮大麻を作り頒布するが、それ以前は大麻が御神体として使用されていた。使われていた大麻は幹の部分とも花穂の部分ともいわれている。『神宮大麻と国民性』(大正5年/神宮奉斎会本部発行)によると、「大麻は之を仰ぎ崇敬の念を致すべき御神徳の標章」と書かれ、各家庭が朝夕にみんなで拝むことは子供達の教育においても多大な効果をもたらすとも書かれている。

江戸末期は日本家庭の9割に普及

江戸時代末期までには全世帯の9割が神宮大麻を祀っていた。平安時代末期、伊勢の御師(おんし/おし)と呼ばれる祈祷師が、全国各地で祈祷を行い、御祓大麻(おはらいたいま )を頒布したことに始まりだ。江戸時代後期には、全国の世帯の約九割が御祓大麻を受けていたと考えられ、御師は伊勢の神宮に奉仕する神職のひとりとして全国からの参詣者の案内や神楽奉奏、宿泊の提供などもおこなっていた。御祓大麻の頒布は明治に入って廃止となった後、神宮よりの直接頒布となるなどの変更をへて現在の全国の神社を通じての頒布へと落ち着いている。大麻が清浄なもの、そして清浄にするものとして大切に扱われてきた理由の一つは穢れを拭うことである。そして大麻の持つ現在でいう殺菌性や抗菌性も感覚で理解していたからに違いない。

大麻と関係浅からぬ忌部氏

大麻の持つ雑草から神のあいだを包括する不思議な力に人は魅了される。大麻はその辺にいくらでも生える雑草でもあり、生活に根ざした医衣食住心に一助を与えるものであり、そして神の依代でもあり神そのものでもある。日本において大麻と深い関わりを持つのは古代天皇一族と古代天皇一族と深い縁をもつ忌部氏だ。彼らは占いが重視されて政治がおこなわれていた時代、祭祀の事前準備をし、場を整え、祭具を作り、支度をする祭祀官として政治を左右する重職にあった。彼らは祭祀のスペシャリストであり同時に当時の最新技術である農業や製鐵などのスペシャリスト集団でもあった。そんな彼らがもっとも重視したものが大麻だった。神道が古代神道から国家神道に変わり、現在の神社のカタチとなっても結界を張る注連縄や、お祓いを行う大幣、鈴緒などに大麻が使われ、大麻が神の依代として、そして邪を祓う祭祀具の素材として、大麻はなくてはならないものだ。神社だけが神道というわけではないが、神道の考え方として大麻は塩でも水や酒でも祓えない穢れを拭い去る力を持つ「清浄」の繊維とされている。

皇室秘中の秘儀〈大嘗祭〉に大麻は必要不可欠

現在にまで続く忌部氏の末裔は徳島県美馬市木屋平にある三木家だ。忌部氏としては123代目となる。新天皇が即位する時、様々な皇室儀礼や国家儀礼がおこなわれる中で即位の礼と践祚大嘗祭がある。この二つは元々は同じだったとされるが、皇位を継承する儀式が「践祚」であり継承を宣言して祝意を受けられる儀式を「即位」と呼ぶ。桓武天皇時代からは神器を引継ぐ儀式であり、剣璽等承継の儀でもある。そんな践祚大嘗祭は一代一回の儀礼だ。この儀礼に重要なのが麁服(あらたえ)とよばれる大麻で織った布と繪服(にぎたえ)という絹の布だ。この布がなければ天皇を引き継ぐことができない皇室儀礼の中でも秘儀中の秘儀だ。絹のない時代は両方とも大麻の織物が使われた。麁服は阿波国忌部氏の織ったものを用いる。天皇家が仏教に帰依していたため300年以上中断していたが、明治以降に復活し、明治・大正・昭和・平成・令和と4代続く。2019年の令和の新天皇即位にも麁服は調進された。

日本独自の祈りの文化

植物学者でもあった昭和天皇は「雑草という植物はない」といわゆる雑草も含めて植物すべてに愛情を持って接していた逸話が残っている。風のざわめきや小川のせせらぎ、鳥たちのさえずり、、、日本人の感性には響く草花を愛で自然を慈しむ感覚は世界に通用する。一例を挙げると2019年2月にネパールで開催されたアジアヘンプサミットで起業家賞を受賞した麻草屋の受賞理由は「蚊帳の祈りや大麻に関する日本人の感じ方」などの部分での受賞だった。「私たち西洋の人間にはない大麻の歴史や文化をもっと世界に発信して欲しい」というのが主催者の意向だ。日本人は無宗教という誤解されやすく日本人すらそう勘違いする独自の宗教感は、一神教にはないおおらかな宗教感であり宗教ではない、自然との調和を望む日本人の感性を刺激する。

大麻の有用性を知る昭和天皇の行動

大麻の有用性を知る昭和天皇の行動
出典:日本人のための大麻の教科書 「古くて新しい農作物」の再発見

一枚の記録写真がある。『天皇陛下行幸記念 昭和22年9月5日 国府村農協組合にて大麻製造御高覧』だ。昭和22(1947年)年は2年前にあたる1945年10月12日に「日本における麻薬製品及び記録の管理に関する件」として「麻薬成分を有する植物(日本古来の在来種を含む)の栽培、製品の製造、販売、輸出入を禁止」され、昭和22年には大麻取締規則、そして昭和23年に大麻取締法が制定された大麻受難の時代だ。このようなタイミングで天皇自ら大麻栽培地へ足を運んだ意図は明確ではないが「ダメ、絶対」という思いであったはずはない。国の統治者であり植物学者でもある昭和天皇は大麻の有用性を強く認識するひとりだった。

大麻は人間そのもの。大麻のない世界に人は存在できない

大麻の蚊帳で政治をおこなった応神天皇!?

「天照大神の化身を大麻として祀り上げ、応神天皇が蚊帳の帳の中で自らを守ったり、人々の幸せを祈ったりする場所として政をとりはからう、日本には独自の大麻の蚊帳があったのではないかと、私は想像を逞しくするのである。大麻でできた蚊帳空間は、まさしく聖なる空間ということになる。」と言うのは安眠創造企業〈菊屋〉の前社長(故人)の三島治氏だ。奈良時代初期に編纂され平安時代末期の写本がいわゆる国宝に指定されている『播磨風土記』の中で、飾磨郡加野里の地名の由来について、「加野と称するは,応神天皇の巡行の時,ここに御殿を造り,蚊屋を張った故に加野と名づけた」と書かれていることから想像したという。そして「大麻でできた蚊帳空間は、まさしく聖なる空間ということになる。」ともいう。

大麻はつむぐ

私たちはご飯を食べる時に「いただきます」という。食べ始める合図に過ぎないが、そこには命を食べることへの感謝や作ってくれた人への感謝、今日も食べられることへの感謝、それらを育て実らせてくれた自然への感謝など感謝で溢れた言葉だ。学校給食がはじまってからの習慣とも言われるが感謝の気持ちは生活の中に溶け込んでいる。

私たちは神さまという時、何を想像し感じているのだろう。神様はどこにいけば逢えるのだろう。6次の隔たり(Six Degrees of Separation)という社会的ネットワーク理論(分析)で証明されている法則によれば世界中の任意の誰かとの繋がりには平均で約6人の隔たりがある。簡単にいうと「知り合いの知り合い」を6人辿れば世界81億1900万人の誰とでも知りあうことができるということだ。もしかしたら「神様はいませんか」と尋ね歩けば神さまを知る人、あるいは神さま本人に会うことができるかもしれない。生き神さまも結構世界には存在する。

しかし、そんなことをしなくても日本においては大丈夫だ。それは日本全国8万8000社ある神社、7万8000寺のお寺があり、6万店あるコンビニより数が多いからだけではない。日本の神々はどこにでもいる。近寄りがたい神域と呼ばれる場所もある。そんなところに神様が、と驚くような場所にまで神さまはいる。日本の神さまはそこら中にいる。神様はすべてのものに宿る。「鰯の頭も信心」「白紙(しらかみ)も信心」なのだ。神様に囲まれ神さまとともに暮らしているのが日本だ。そして一人ひとりの心の中にも神さまは存在する。

私たち日本人は日常の暮らしの中で感謝と畏敬の念を持って自然と接してきた。自然の力は私たちに豊かな恵みを与え、時に激しい苦痛をもたらしてきた。そんな優しくも厳しい自然環境の中に神さまを感じ、暮らしの中で神さまを感じる。そして身近なこととして生命の尊さを実感しながら歴史を紡いできた。そしてその象徴として山や山々、木や滝、磐座などを神さまが宿るものとしてまつり、それが神社へとカタチを変化させてきた。
シャーマニズムやアミニズムも一神教も融和と調和させる連綿と続いてきた宗教ではなく宗教観はあまりにも生活の中に溶け込みすぎて忘れがちだが、連綿と引き継がれて心の中で生きている。

神社においても天照大神だけでなく山の神や海の神、目に見えない神様から目に見える神様まで隅々にまで神さまは存在する。お天道様からお地蔵さま、道祖神、そして人さえも神さまに昇格する。ぱっと見には節操のない無神教、無宗教と見える日本はさまざまな神様がそこらかしこに暮らす神の国だ。自然と調和し生活の基盤となっている神さまとの交流。それを神道と呼んでいるに過ぎない。民族宗教といわれる所以だ。八百万の神さまが暮らす国に私たちは住んでいる。そして自分たちだけではなく、永遠に続く世界の人々の平和と幸福を願っている。

それらの象徴として大麻はある。大麻で紡がれるのは歴史や民族や伝統や文化だけではない。人と人、人と精神、人と地球、人と未来、そして宇宙だ。大麻の可能性は無限に広がる宇宙そのものだ。想いは実現する。

大麻を理解すれば未来は変わる

大麻を思い出せば未来は明るい

大麻の可能性に気付けば未来は輝く

大麻で未来を生きよう

大麻は人間そのもの。大麻のない世界に人は存在できない

地球最後のプロジェクト

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