アーティストの自由 vs. 大麻取締法:21世紀の思想弾圧か?

国家が“ラッパー”をターゲットにする時代

なぜラッパーばかりが逮捕されるのか?なぜ「大麻」と「表現」は、ここまで不安定な関係にあるのか?2020年代の日本では、大麻の所持や使用で逮捕される著名人の大半がヒップホップアーティストであるという、異常な現象が続いている。舐達麻、漢 a.k.a. GAMI、D.O、鎮座DOPENESS、¥ellow Bucks、そして多数の無名ラッパーたち。彼らはほぼ例外なく、「表現者」としてのキャリアを持ち、「吸っていた」ことを公言し、そして警察に“見せしめ”のように取り締まられてきた。この流れは、単なる「法執行」なのか?それとも――“思想弾圧”の現代的な形なのか?

言葉と煙が“危険視”される時代

ラッパーは、タレントや俳優と違い、「自らの言葉で社会と対峙する職業」だ。彼らのリリックには、政治、警察、差別、暴力、死――社会の“裏”が赤裸々に描かれる。それゆえ、ラッパーが吸う大麻には、単なる違法薬物以上の“象徴性”が宿る。たとえば、漢 a.k.a. GAMIはリリックの中でこう語る。「吸ってんのは草、吐いてんのは言葉」この一節に込められたのは、「煙」は“罪”で、“声”は“自由”だという主張だった。だが現実はその逆だった。彼がマイクを持ち、ラジオやTVで発信力を持つようになるほど、「摘発」は現実のものとなった。これは偶然か?それとも、“言葉を持った吸引者”だけがターゲットになっているのではないか?

大麻取締法の本質は“思想抑制”なのか?

日本の大麻取締法(1948年制定)は、GHQ主導のもと導入されたものであり、歴史的には「思想統制」や「文化の切断」のための装置として使われてきた面もある。実際、1950〜60年代にかけては、ジャズミュージシャンや前衛詩人たちが、“風紀を乱す”という理由で大麻による取り締まりを受けた記録が複数存在する。つまり、大麻取締法は「物質の管理」ではなく、「価値観の監視」に機能してきたのではないか?そしていま、それがヒップホップという“言葉を武器にする若者文化”に適用されているのだとしたら、それは21世紀型の“思想弾圧”と見るべきではないか。

「音楽」か「犯罪」か?報道と社会の境界線

メディアはどう報じたか?「人気ラッパーが大麻で逮捕」「大麻吸ってたくせに文化人気取りか」多くのニュースは、彼らを“言論人”ではなく“前科者”として描写した。だが、こうした表現はアーティストの作品にどんな影響を与えるのか?音源削除、ライブ出演停止、イベント中止、サブスクからの除外(プラットフォーム側の“自主規制”)これらの措置は、「逮捕=作品の否定」という“前例なき抹消主義”を加速させた。結果的に、日本のヒップホップ文化は、法的制裁以上の“社会的ブラックリスト”に晒されている。

ラッパーはなぜ“敵視”されるのか?

“暴力的”“不良文化”“大麻擁護”ラッパーたちは、しばしば社会の“異物”として扱われてきた。だがその表現の根底には、表現の自由を信じる姿勢があった。吸うな、歌うな、語るな、黙れ――そう言われても、彼らは「言葉」を持ち、「自分の正義」を口にしてきた。その結果として、“狙われている”のではないか?言葉を持つもの、主体的に思想を持つもの、抵抗をやめないもの、こうした属性が、大麻と結びついた瞬間に、警察・報道・世論の“スケープゴート”になる。それは偶然ではなく、構造的な選別ではないか?

これは“嗜好品の問題”ではない。“価値観の処罰”である。

今、我々が問うべきは、「ラッパーが吸ったこと」ではなく、「なぜラッパーばかりが狙われるのか」である。音楽を消すのか? 言葉を罰するのか? 文化を黙らせるのか?その問いに、日本社会はまだ答えを出していない。だが一つだけ確かなのは、マイクを持つ者たちは、簡単には黙らないということだ。