大麻リリックは“現代の祝詞”か?

マイノリティ文化と古代信仰の意外な共通項

「巻く」「吸う」「祓う」その行為は、儀式なのかもしれない

夜のスタジオに煙が漂う。舐達麻は言う──「俺は煙で現実を祓ってるだけだ」この言葉を、ただの中二病的表現として片付けるのは容易だ。だが一方で、「煙によって空間を清める」という行為は、神道や縄文以来の“日本的宗教儀礼”にも通じる。ラッパーが語る大麻リリックは、果たしてただの反抗か?それとも、新たな“祝詞”なのか?

“祓い”としてのウィード

日本の古神道において、煙は「祓いの象徴」とされてきた。 大麻の繊維は鈴緒・注連縄・神事具などにも使われ、煙で場を清める「大麻(おおぬさ)」はその名の通り神具だった。この観点から見ると、舐達麻やRed Eyeらが煙と共に言葉を吐き出す行為は、**自己と空間の“浄化”**に近い。彼らのラップは“リアル”であると同時に、魂の整理であり、祝詞的な“言霊の発動”であるとも解釈できる。

“神とのWi-Fi”としての麻

縄文文化において、大麻は繊維であり、医療であり、信仰であり、情報伝達装置だった。日本では古来、「麻は神とのつながり(=Wi-Fi)」とされ、身にまとうことで**“波動を整える”**と考えられていた。現代ラッパーの中には、これを意識的に表現に取り入れる者もいる。たとえばRed Eyeはインタビューで「煙とともに宇宙の意志にチューニングしている」と語り、舐達麻のMVでは仏像・般若心経・曼荼羅といった宗教的モチーフが頻繁に登場する。彼らにとって大麻は、「キマる」ためのツールではなく、“内的宇宙”とつながるポータルになっている。

マイノリティ文化とシャーマニズムの共鳴

ラッパーたちは、社会の主流から外れた場所──“周縁”に生きている。それは、古代社会において巫女(ミコ)やシャーマンが持っていた立ち位置と近い。彼らは村の外に住み、煙を使い、異界とつながり、「言葉」で村にメッセージをもたらしていた。この構造は、まさに現代の“リリシスト”と重なる。マイノリティであるがゆえに、犯罪者であるがゆえに、“見える景色”を言葉にする──それが、ラッパーの役割でもある。つまり、大麻リリックとは現代の**「反社会的シャーマンの祝詞」**なのではないか?

祝詞にリズムを、ラップに祈りを

本来、祝詞とは“神に捧げるリズムと言葉”だった。現代のラップもまた、“魂に捧げる言葉とビート”である。その中に大麻が登場するのは、単なる趣向や癖ではない。それは思想であり、態度であり、祈りである。現実を吸って、煙で祓い、リリックで刻む。 ラッパーたちが繰り返すこのプロセスは、まるで古代日本の“祭祀の構造”を、現代の都市とリズムで再演しているかのようだ。

大麻リリックは、現代社会への祝詞かもしれない

ラッパーたちが吐き出す煙は、 法律を超えて、社会を貫き、魂に触れる。その言葉は、ただの娯楽ではない。傷ついた者たち、忘れられた者たちの名もなき祈り──それが、大麻リリックの“もう一つの意味”なのかもしれない。