「漢 a.k.a. GAMI」が体現した“言葉の解放”とその代償

日本の表現規制とHIPHOPの自由の狭間で

「大麻を吸って何が悪い?」これは挑発でも開き直りでもない。むしろ、彼の中では“正義”だったのかもしれない。漢 a.k.a. GAMI。日本語ラップ黎明期から最前線を走り続けてきたラッパーであり、フリースタイルダンジョン初代モンスターとしての名声も高い。だが彼の名は、ヒップホップ史にとって“ただのアーティスト”以上の意味を持つ。彼の言葉は、自由の境界線に踏み込んだ“事件”そのものだった。

アンダーグラウンドの“神格”

2000年代初頭、まだ「ラップ=不良の趣味」と揶揄されていた時代。漢はそのなかで新宿・歌舞伎町という生々しいリアルを背負いながら、徹底的に“言葉”にこだわった。仲間を喪い、自らも薬物に触れながらも、ラップは武器だという信念だけは貫いた。彼が主宰したレーベル「鎖グループ」は、金ではなく“言葉”でつながるクルーだった。そのスタイルはメジャー志向ではなく、自己表現の純度に賭けるストリート哲学そのもの。彼のラップには必ず「この社会で声を上げろ」「自由とは何か」という問いが潜んでいた。

“草”と共に戦ってきた声

彼の音楽と大麻との関係は、ただの“ライフスタイル”ではない。むしろ彼にとって大麻とは思想の一部だった。大麻使用を明確に肯定するラッパーがメディアに出るという、当時の日本では異例の姿勢。「吸ってる奴らの代わりに俺が言う」「これが俺たちのカルチャーなんだ」と、堂々と公言する姿勢は、ある種の“文化的殉教”にすら見えた。だが当然、その代償は大きかった。彼は2016年・2020年と二度の大麻取締法違反で逮捕。報道はラッパーという肩書きごと彼を叩き、テレビ番組からの“封印”が始まる。YouTubeでの活動は続いたが、地上波から姿を消した彼は、まるで現代の“表現の刑罰”を受けた詩人のようだった。

HIPHOPは“自由”の温床か、“逸脱”の温床か

ここに、二項対立が生まれる。ヒップホップは自由を謳歌すべきカルチャーなのか、それとも公共空間における“逸脱者”なのか?アメリカでは、Snoop DoggやJay-Zが合法的に大麻ブランドを展開し、堂々と吸い、堂々と稼いでいる。だが日本では、その同じスタイルが「犯罪」とされる。つまり、表現内容はグローバルだが、法はローカルなのだ。 そしてそのはざまで最初に倒れたのが、“言葉の解放者” 漢 a.k.a. GAMIだった。

代償と継承:「漢のラップは消されない」

だが、ここで終わりではない。彼のラップは、いまも若い世代に“届いている”。舐達麻、Red Eye、¥ellow Bucksといった次世代は、「自由に言いたいことを言うスタイル」を自然に身に着けている。大麻というテーマすらも、彼らにとっては“犯罪”ではなく“リアリティ”であり、ビジュアルとサウンドの一部に溶け込んでいる。言い換えれば、漢が“破ったことで生まれたルール”は、いまやカルチャーの一部になりつつある。

漢の中の漢、漢a.k.a GAMI

彼は、言葉の限界を壊すために、自らのキャリアをも投げ出したのかもしれない。だが、彼が残したのは“逮捕歴”だけではない。「本気で自由を語る奴がいる」という現実を、この国のヒップホップに刻んだ。その言葉は、誰よりも重かった。そして、いまも燃え続けている。