「もう十分やった」と言える人が強い理由

― 手放すことは敗北ではない

私たちはつい、
「まだ何かできたのではないか」
「自分が引けば、相手は困るのではないか」
と考えてしまう。

やさしい人ほど、
その問いを何度も自分に投げる。

でも、ここで一度、立ち止まって考えてみたい。

やさしさには、役割がある

人を信じる力は、尊い。
機会を与えることも、支えることも、立派な行為だ。

ただし、
やさしさが結果の責任まで引き受ける必要はない。

  1. 信じること
  2. 手を差し出すこと
  3. 道を示すこと

ここまでは、こちらの選択。

その先で、
どう使うか、どう生きるかは、相手の選択だ。

この二つを混ぜてしまうと、
やさしさは重荷に変わる。

「もう十分やった」は、あきらめではない

「もう十分やった」と言うと、
負けたように聞こえるかもしれない。

でも実際は、逆だ。

  1. 見捨てていない
  2. 投げ出していない
  3. 嘘もついていない

ただ、役割を正しい場所に戻しただけ。

それは逃げではなく、
現実を尊重した判断だ。

手放すと、信じる力は残る

無理に背負い続けると、
人はだんだん、信じること自体が怖くなる。

「次は失敗したくない」
「もう誰も信じたくない」

そうなる前に、
手放す勇気が必要な時がある。

手放すことで、

  1. 人を信じる力は壊れない
  2. 自分を責める癖も増えない
  3. 次に出会う人に、同じやさしさを向けられる

それは、とても強い選択だ。

本当の強さは、線を引けること

強い人は、冷たい人ではない。
強い人は、境界線を知っている人だ。

  1. ここまでは自分の責任
  2. ここから先は相手の人生

この線を引ける人だけが、
長く、やさしく、立ち続けられる。

結びに

「もう十分やった」と言える日は、
努力を否定する日ではない。

それは、

誠実に関わった自分を、
きちんと終わらせてあげる日

その一言が出せたなら、
あなたはもう、十分に強い。