“違法時代”を知る者たち──密売の記憶と今の自由

「吸っただけで刑務所行き」──それが、ほんの数年前の話だ。 タイが大麻を非犯罪化したのは2022年。だが、その自由の陰には、“犯罪者”として人生を翻弄された者たちの記憶がある。本記事では、密売人、元受刑者、弁護士、社会活動家など、“違法時代”を生きた人々の声から、タイ社会がいかにして大麻と向き合ってきたかを浮き彫りにする。

「1グラムで3年」──過剰な罰と“選別される人生”

かつてタイでは、大麻の所持は即座に「麻薬犯罪」として処罰され、量にかかわらず、数年の実刑が下ることも珍しくなかった。その背後には、アメリカからの圧力や国際条約の影響もあり、「麻薬ゼロ政策」が声高に叫ばれた時代があった。> 「乾燥して茶色くなった葉っぱの袋を持ってただけで、3年。誰にも説明できなかった」 — 2015年に逮捕された元運送業の男性(当時22歳) 彼のようなケースは決して稀ではない。とくに東北地方や少数民族の若者たちが、不平等な取締の対象になっていた。警察の現場では、判断基準があいまいで、所持量の少なさや使用目的にかかわらず「見せしめ」としての逮捕が横行していたという。密売とされるケースの中には、「地元の村で昔から栽培していた」「医者に処方されたが紙がなかった」など、曖昧な判断で摘発されたものも多い。貧困や教育機会の少なさが、“無知ゆえの違法行為”として犯罪者ラベルを貼られる構造を強化していた。

密売人たちの“倫理”──「売らなければ食っていけなかった」

密売というと暴力や犯罪組織のイメージが先行しがちだが、実態はもっと複雑だ。「俺たちはギャングじゃない。ただ、薬草が“売れた”だけだ」 — 元密売人・K(匿名) 彼によれば、“売れる作物”としての大麻は、地方農村にとって最後のライフラインだった。とくに収入のない雨季には、数千バーツの取引が家族の命を支えたという。タイの一部地域では、米の収穫と並行して大麻を栽培することが慣習化していた地域もあり、「悪」とされる意識はほとんどなかった。また、売る相手は“地元の誰か”であり、暴力的な要素はむしろ少なかった。信頼関係に基づく手渡し取引が多く、仲介業者やカルテルのような構造とは無縁のケースも多い。それでも、摘発されれば“麻薬組織の一員”として報道され、人生の再出発は困難を極めた。出所後の就職先がなく、家族のもとにも戻れず、事実上「社会的死」を与えられた人々も少なくない。

変わったのは“法”か、“意識”か?

2022年、大麻の非犯罪化によって、こうした人々の境遇は大きく変わった。・かつての受刑者が大麻ビジネスの合法店舗を運営 ・元密売ルートが「グリーン観光地」として脚光を浴びる ・村の医師がCBDクリニックを開業し、正規の処方が始まる だが同時に、“違法時代に摘発された人々はどうなるのか”という問いも浮上している。一部では前科の抹消手続きが進んでいるが、多くはまだ“過去の烙印”を背負ったままだ。「合法になったのに、俺だけまだ“前科者”ですか?」──そんな声が後を絶たない。前科が原因で海外渡航を断念せざるを得なかった人、資格取得のチャンスを失った人も多く、制度と実情のギャップが浮き彫りになっている。

“今の自由”に必要なのは、記憶の共有

大麻の合法化は「ゴール」ではない。かつての禁止時代を知る者たちの記憶を、いかに社会が“正しく語り継ぐか”が、今問われている。> 「あの時、隠れて吸ってた人が、今は堂々と店を開いてる。それが自由ってもんだよ。だけど、忘れないでほしい。自由は、誰かの“失われた時間”の上にあるんだ」 — 元受刑者・S氏(現在は合法栽培農家) 彼のように、合法化を「解放」とは捉えず、「補償なき自由」と感じている元受刑者も多い。市民社会では、記録映画や展覧会、ドキュメンタリープロジェクトなどを通じて、「違法時代の記憶」を共有しようとする試みも始まっている。

“闇”を経験した者だけが語れる光がある

彼らは言う。「大麻を正しく使う」ことは大事だ。だがそれ以上に、「過去を忘れない」ことが、これからの社会に必要だと。自由とは、過去の不条理を上書きすることではなく、記憶の上に立って選び直すことである──。そしてその記憶を「語れる者」が、社会の価値観を再構築する鍵を握るのだ。今、彼らの多くが語るのは「恨み」ではなく、「次の世代には、こんな経験をさせたくない」という願いだ。“違法だった記憶”があるからこそ、今の自由が尊く、“密売”の記憶を経た者こそが、“正しい使い方”を語れる。タイ社会の成熟とは、きっとそういうものなのだろう。