21世紀、スニーカーとビートをまとった仏陀たちが、マイク一本で真理を叫んでいる。ストリートの角、クラブの中、YouTubeのアルゴリズムの奥底。彼らは悟った者ではなく、悟ろうとする者──つまり「ライムする者」だ。仏教において、悟りとはプロセスである。それは無知(無明)から目覚めへ至る道のりであり、修行(行)と観察(止観)と内省(禅定)を通じて、自我という幻を脱ぎ捨てていく旅だ。だが現代において、“修行”とは、どこにあるのだろうか?もしそれがステージの上にあるとしたら?もしそれがライムの中に埋まっているとしたら?ヒップホップは、我々の時代における「仏教的行為」なのかもしれない。