ディープステートによる麻の禁止とプロパガンダ

Gage Skidmore from Peoria, AZ, United States of America, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
Gage Skidmore from Peoria, AZ, United States of America, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

ディープステートとアメリカの政治

アメリカのトランプ前大統領は、ディープステートを破壊することを公約に掲げた。彼の支持者の間では、ディープステートは表には出てこない、政治と経済を陰で操る秘密の勢力として認識されてる。この勢力は、軍産複合体や国際金融資本、さらにはロスチャイルド家やフリーメイソン、イルミナティなど様々な名称で語られている。トランプ支持者の一部は、これらの勢力がアメリカのみならず、世界全体を支配しようとしていると信じてる。

アメリカの政治経済に大きな力を持つ5大財閥

世界最大の経済大国であるアメリカを動かしているのは、財閥であるとよく言われている。これらの財閥は世界経済にも大きな影響力を持っている。日本でもかつて三井、三菱、住友などの主要財閥が巨大な企業グループを形成し、国内の政治経済に大きな影響を与えてきた。同様に、アメリカではロックフェラー、モルガン、メロン、デュポン、カーネギーの5大財閥が存在し、これらの財閥がアメリカ経済に深く関与している。

ジョン・ロックフェラー - Published by Scientific American Compiling Dep't, New York. 1907., Public domain, via Wikimedia Commons

麻の歴史とその利用

麻は人類史上最も古くから栽培されている植物の一つであり、食料、衣料、紙、薬などとして多用途に利用されてきた。その強靭な繊維はロープや布の材料として広く使用され、麻の種子や油は栄養価が高く、健康食品としても重宝されていた。しかし、20世紀に入り麻は突然その地位を追われ、特にアメリカにおいて厳しく取り締まられるようになった。

アメリカ近代史は大麻vs石油の歴史

1600年代、バージニア州ジェームズタウンのイギリス人入植者がロープや衣類などの繊維、そして紙やランプの燃料などの生活必需品である大麻の栽培を始めた。そして衣食住すべての分野で欠かせないものとなった大麻は1700年代になるとバージニア州やコネチッカット州などで農家に麻の栽培が罰則付きで義務化され、貨幣よりも価値がある法定通貨として普及する。1776年の憲法と独立宣言の草案は当時最も普及していた大麻紙に書かれ、初代アメリカ合衆国大統領となったジョージ・ワシントンが率いた陸軍の制服にも使われた。海軍においてもロープや帆布など大量の大麻繊維が必要であり、大統領は論文の中で大麻栽培を提唱している。また大麻栽培者でもあった第3代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンは大麻の適切な栽培方法について複数の本を出版し、大麻脱穀機の特許を取得している。

1848年になるとカリフォルニア・ゴールドラッシュとなり当時2万人にも満たなかった人口が、翌年の1849年には10万人、1852年に25万人、1860年には38万人と爆発的に増加する。そこに目をつけたリーバイ・ストラウスは幌や帆の材料であった丈夫なキャンバス地でズボンを作製し、インディゴ・ブルーに染めた丈夫で乾きが早く泥の汚れが目立たないリーバイス501を販売しゴールドラッシュで一番儲けた男として名を馳せた。1850年当時のアメリカの国勢調査ではアメリカ国内に2000エーカー(東京ドーム173個分)以上の農場を持つ農家だけで8000軒以上の大麻農場があった。

生活分野においてなくてはならない大麻は医療分野においても有用性は広く知られており、多くの大麻診療所が開設された。1890年当時、サーの称号を持ち、ヴィクトリア女王の主治医であったイギリスの医師ジョン・ラッセル・レイノルズは英国の医師五大医学雑誌の一つである『ランセット』に「(大麻を)純粋な状態で、使い方さえ間違えなければ、大麻は人類にとって最も価値ある薬の一つだ」と掲載したことも大麻の医療利用を後押しした。

1896年にはルドルフ・ディーゼルが大麻など植物油の使用を想定したエンジンを開発する。また、フォードモーターカンパニーのヘンリー・フォードはミシガン州を拠点に大麻燃料を生産するバイオマス変換プラント運営を開始した。

大麻は綿の約4分の1の水分で成長し、1トンの生産に必要な土地面積は約半分である。また土壌を豊かにし綿のように肥料を大量に使う必要がない。さらに、1916年の米国農務省の報告書は大麻畑から従来の樹木に比べると最大4倍の紙を生産できることが明らかにされ、大麻の優位性は当時から知られた話だった。

禁酒法とディープステートによる大麻の取り締まり

アメリカの禁酒法(1920年〜1933年)は、アルコールの消費を禁止し社会問題を解決しようとする試みだったが、結果的には密造酒や組織犯罪の増加を招いた。禁酒法が1933年に廃止された後、新たな社会的「悪」として注目されたのが大麻だ。政府や特定の団体は、大麻の使用が犯罪や社会問題を引き起こすとするキャンペーンを展開した。1933年の禁酒法廃止によりハーリー・アンスリンガー と共に3万5000人の禁酒法執行職員(現麻薬取締局DEA)が職を失いかけた。

アメリカの大麻に大きな変化をもたらしたのデュポン社が1930年代から1940年代にかけて開発したナイロン、オーロン、ダクロンといった石油由来の合成繊維である。デュポン社が開発した製品は20世紀半ばの繊維製品の製造・使用方法に大きな変化をもたらし石油産業を形成していく。しかし、1941年の日米開戦など戦時体制の中、軍事物資の確保に動いたアメリカは映画「勝利のための大麻」を制作し大麻栽培を奨励し、中西部全体で100万エーカーの大麻を栽培するなど大麻産業は一時復活するかのように見えたが、戦争終了と共に大麻加工工場はすべて閉鎖された。
アメリカ合衆国における禁酒法 - See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

デュポン社・石油・コットン・製薬業界の結託

注目すべきはデュポン社が開発したナイロンなどの合成繊維、ロックフェラー家やカーネギー家によって資金援助された製薬業界や石油由来の製品の普及だ。これらの会社にとって麻は強力な競争相手となり得るものだった。デュポン社はアメリカ合衆国財務長官のアンドリュー・メロンによって資金調達され、メロンはその地位を使い麻のプロパガンダを広めた。大麻が産業にとって脅威となることを恐れた繊維産業・製薬産業・石油産業・プラスチック産業は結託し大麻を悪者にすることで自らの利益を守ろうとした。

ハリー・アンスリンガーの麻に対する厳しいプロパガンダ

ハリー・アンスリンガー - Cecil Stoughton. White House Photographs. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston, Public domain, via Wikimedia Commons

1930年代には連邦麻薬局(Federal Bureau of Narcotics)初代局長ハリー・アンスリンガーが、大麻に対する厳しいプロパガンダを展開した。アンスリンガーは大麻を危険な薬物と位置付け、その使用が暴力や犯罪、道徳的崩壊を引き起こすと主張し、特にメキシコ系移民やアフリカ系アメリカ人と大麻使用を関連付けることで恐怖を煽った。彼はまた、大麻の使用がヘロインやコカインなどのハードドラッグ中毒に繋がるという科学的根拠のない主張を広めた。アンドリュー・メロンはハリー・アンスリンガーの義理の叔父にあたり親戚関係にあった。

反マリファナ映画 - 大麻の狂気 (Reefer Madness) -1936年

「リーファー・マッドネス(Reefer Madness)」は、1936年にアメリカで制作されたマリファナの使用がもたらすとされる危険や悪影響を強調したプロパガンダ映画である。アメリカの善良な若者がマリファナを試した結果、幻覚に支配され、狂い、レイプ・殺人・交通事故・売春、挙句の果てには錯乱状態で友人を射殺などの破滅的な行動を引き起こす。これが全てマリファナのせいだと結論つけた。この映画は事実に基づかない恐怖心を煽る内容で構成されており、マリファナに対する社会的な恐怖と偏見を助長した。

1937年アメリカ大麻課税法

1937年の大麻課税法(Marihuana Tax Act of 1937)は、アメリカ合衆国において大麻の栽培、流通、販売、所有を規制するために制定された法律だ。この法律は、実質的に大麻の使用を禁止するものであった。大麻の取引には高額な税金が課され、取引に関わるすべての人は特別な税印紙を購入することが義務付けられた。高額な税金と厳しい規制により、大麻の商取引は事実上不可能となり、大麻の使用が実質的に禁止された。
アメリカ大麻課税法 - U.S. Bureau of Engraving and Printing; Imaging by Gwillhickers, Public domain, via Wikimedia Commons

黙認されたラガーディア報告と科学的研究

フィオレロ・ラガーディア - Fred Palumbo, World Telegram staff photographer, Public domain, via Wikimedia Commons
しかし、すべての人が大麻反対というわけではなかった。1939年には、ニューヨーク市長のフィオレロ・ヘンリー・ラガーディアが31名の科学者を集めて5年に及ぶ大麻の使用に関する科学的実験を行った。世界で初めて行われた大麻に関する科学実験だ。このラガーディア報告では、大麻使用が医学的な意味での中毒に繋がらず、重大犯罪の決定的要因でもないことが示した。しかしアンスリンガーはこの報告書をないがしろにし、麻の否定的なキャンペーンを強化した。

国際的な禁止とその影響

アンスリンガーのプロパガンダは国際的にも影響を及ぼし、多くの国々が大麻の禁止に踏み切った。その結果、世界的に石油やプラスチック産業による大気汚染や海洋汚染などの環境問題が悪化した。かつて農家が自らの繊維、薬、食べ物を生産していた時代に比べ、現代の農業は化学農薬や石油由来の製品に大きく依存するようになった。

科学的根拠がないまま強化された麻規制

1956年にアメリカでは「麻薬管理法」が制定され、ヘロインと同等となり、1961年にはアンスリンガーの働きかけにより「麻薬に関する単一条約」が制定された。1972年には大麻及び薬物乱用に関する全米委員会の調査により大麻の危険性は明確に否定されたにもかかわらず、当時のニクソン大統領はDEA麻薬取締局を設立し取り締まりを強化していく。カーター時代に一時緩和をみせた大麻政策だったが、1980年代以降のレーガンやブッシュ政権下では大麻撲滅キャンペーンや規制強化が進み、クリントン政権では3万人を大麻所持で逮捕した。

今では38の州で麻が認められている

Lokal_Profil, CC BY-SA 2.5 , via Wikimedia Commons
しかし、1980年代から90年代にかけて、痛み止めや薬の副作用である食欲減退を抑える効果から医療大麻としての使い方を求めたのはHIV/AIDSの患者たちだった。そして1998年にオレゴン・アラスカ・ワシントンの3州が医療大麻を合法化したのを皮切りに2024年現在、24の州が嗜好用の大麻を解禁し、38の州で嗜好または医療用大麻が認められている。大麻はスケジュール1からスケジュール3への移行を決定し、州法だけでなく連邦法の変更へと進んでいる。ブッシュやオバマ、そしてトランプ政権では州法を重視して連邦法とは一線をおいた政策をとった。

ディープステートにコントロールされてはいけない

ディープステートや既得権益を持つ企業による大麻の禁止は、経済的・政治的な力学に大きく影響されてきた。その結果、環境問題や社会的不公平が生じている。私たちは、表面的なプロパガンダに惑わされず、歴史的背景や科学的証拠に基づいた冷静な視点を持つことが求められている。大麻の再評価を通じて、より持続可能で公正な社会を築くための第一歩を踏み出す必要がある。大麻を取り戻すことは日本を取り戻すことだ。そして大麻を取り戻すことは世界を取り戻すことだ。世界を取り戻すために声を上げたのは皮肉にも日本の基層文化である大麻の伝統文化を断ち切ったアメリカだ。アメリカにおいて大麻は建国の歴史と建国の理念を取り戻す象徴なのだ。さて、縄文時代よりはじまる大麻を基層文化としてきた日本も現状を変えていく必要がある。大麻を取り戻すことは日本を取り戻すことに他ならない。日本においても大麻は建国の歴史と建国の理念を取り戻す象徴である。
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