なにをクリアしたら霊界から神界へ行けるのか


霊界から神界へ行く。
この言葉は、宗教やスピリチュアルの世界では昔から語られてきた。
だが多くの場合、それは
「徳を積めば」「修行をすれば」「悟れば」
という曖昧な表現に包まれている。
しかし、古今東西の思想・宗教・神話を冷静に見比べると、
そこには驚くほど共通した構造がある。
霊界とは何か
霊界とは、ひとことで言えば、
感情・記憶・執着がまだ個人に属している世界
●怒りが残っている
●悲しみが解けていない
●誰かを許せていない
●正しさに縛られている
善悪は関係ない。
「自分」という視点がまだ中心にある状態。
多くの霊は善良だ。
だが、善良であることと、神界に行けることは別だ。
神界とは、
個人の感情や立場を超えて、世界そのものを引き受ける意識状態
●裁かない
●奪わない
●押し付けない
●それでも関わり続ける
ここには「正しさ」よりも、
在り方が問われる。
結論から言うと、それだけでは行けない。
●人助けをした
●善行を重ねた
●清く正しく生きた
これらは確かに重要だ。
だが、それは多くの場合、霊界の上層までの話。
神界への条件は、まったく別のところにある。
最初にして最大の関門。
●自分は傷つけられた
●自分は不当に扱われた
●あの人のせいで人生が狂った
事実かどうかは関係ない。
問題は、
その物語を、死後も握りしめているか
被害者意識は、
自分を正義の側に固定する。
神界には「正義の席」はない。
霊界に留まる存在の多くは、
誰かを裁いている。
●あの人は間違っている
●あの人は罰を受けるべき
●自分のほうが正しい
裁きは、秩序を守るようでいて、
意識を分離させる。
神界に近づくほど、
裁きは静かに消えていく。
これは意外と重い。
●誤解されたままなのが許せない
●本当の自分を知ってほしい
●正しさを理解してほしい
この欲は、
意識を常に「自分側」に引き戻す。
神界では、
理解されなくても、揺れない
霊界では、まだ善悪が機能している。
神界では、こうなる。
●なぜその行為が生まれたのか
●どんな痛みが連鎖していたのか
●誰もがどこかで未熟だった
行為を肯定するのではない。
存在を切り捨てない。
これが最後で、最も重要。
多くの霊はこう思ってしまう。
「もう人間界には関わりたくない」
だが神界に行く存在は違う。
●人間の愚かさを知っても
●繰り返される過ちを見ても
●救われない現実を理解しても
それでも、世界を見捨てない。
神界に行くことは、
●上に立つこと
●崇められること
●力を持つこと
ではない。
むしろ逆だ。
自分の物語を、完全に降ろすこと
名前も、評価も、功績も、
すべてが溶けていく。
それでも残るものがある。
霊界から神界へ行くために、
最終的に問われるのは、これだけだ。
それでも、愛を失っていないか
●裁かない愛
●見返りを求めない愛
●理解されなくても続く愛
愛を「感情」としてではなく、
態度として保持できているか。
神界とは、
選ばれた者が行く場所ではない。
すべてを理解したあとでも、
なお世界に背を向けなかった意識状態だ。
霊界から神界へ行くために必要なのは、
能力でも修行でもない。
「正しくあること」を超えて、
「それでも引き受けること」
それを、
生きている間に少しでも体現した者は、
すでにその境界に立っている。
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