上に上り詰めた者ほど、第4を失いやすい


人は上に行くほど、
強くなり、賢くなり、語れるようになる。
それ自体は悪ではない。
むしろ文明は、
第5(言葉)と第6(理解)によって発展してきた。
しかし、宗教と哲学は
一つだけ、はっきり警告してきた。
高みに立つ者ほど、第4を軽く見るな。
第5と第6の力は、
立場や支配、時には暴力によって
「手に入ったように見える」。
誰かが道をゆずり、
誰かが沈黙し、
誰かが敬意を差し出すと、
それは自分の力だと錯覚できてしまう。
さらに危険なのは、
それが「優しさ」として与えられる時だ。
借りているだけなのに、
返すことを忘れ、
いつしか自分の物だと思い込む。
ここから、ゆっくり崩れ始める。
第4は、
共感、想像、配慮、責任。
つまり「関係の力」だ。
これは
命じても生まれない。
恐れさせても育たない。
頭の良さでも代用できない。
奪おうとした瞬間、
第4は閉じる。
だから宗教は言った。
愛は強制できない。
信は命令できない。
第4は
返し続けることでしか保てない力
だからだ。
ここで一つ、
きれい事では済まない真実がある。
戦う場面では、
第4は確かに邪魔になる。
共感は判断を遅らせ、
想像は迷いを生み、
配慮は一歩を止める。
だから戦う者は、
一時的に第4を閉じる。
これは堕落ではない。
役割の切り替えだ。
問題は、
戦いが終わったあとも
閉じたまま戻れなくなること。
本当の戦士は、
第4を捨てない。
しまう。
必要な時だけ閉じ、
終わったら必ず開く。
しかし多くの人は、
戦いの論理を
人生そのものに持ち込んでしまう。
勝つか負けるか
支配するかされるか
正しいか間違いか
こうして第5と第6だけが肥大し、
第4を失ったまま
「正義」を語り始める。
この状態こそ、
宗教がもっとも警戒した姿だ。
第4を失った人は、
自分の内側を見られなくなる。
空白を感じるが、
原因を認められない。
その結果、
責めは必ず外へ向かう。
下の者
弱い者
声を上げない者
皮肉なことに、
上に上り詰めた人ほど、
第4を取り戻すのがむずかしい。
落ちるのが怖いからだ。
宗教も哲学も、
力を否定してはいない。
否定したのは、
愛を失ったまま使われる力だ。
愛を失った知は、裁きになる。
愛を失った言葉は、支配になる。
愛を失った正義は、暴力になる。
だから彼らは繰り返し言った。
怒りは日をまたぐな。
剣は持っても、住むな。
高みに立つほど、心を下ろせ。
第4を失った高みは、
ただの断絶だ。
そして断絶の先にあるのは、
必ず崩壊である。
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