ウクライナ、ガザ、台湾、世界が不安定になるほど、日本では“考えること”が嫌われる

世界は今、はっきりと不安定になっている。

●ウクライナでは、侵攻が長期化し
●ガザでは、報復と報復が連鎖し
●台湾海峡では、緊張が日常風景になった

国連も、国際世論も、理想も、
戦争を止める決定打にはなっていない。

それでも日本では、
ある話題だけが「考える前に封じられる」。

――核だ。

「現実が動いている」のに、日本だけが止まっている

元航空幕僚長・田母神俊雄氏が
核を巡る発言をすると、必ず言われる。

「危険だ」
「不謹慎だ」
「今そんな話をするな」

だが皮肉なことに、
“今そんな話をしていない国”から順に、
現実に巻き込まれている。

ウクライナは、核を放棄した。
その結果どうなったかは、
世界中が見ている。

これは感情論ではない。
最近起きた、現在進行形の現実だ。

田母神氏が言っているのは「結論」ではない

ここで重要なのは、
田母神氏が何を言って「いないか」だ。

彼はこう言っているわけではない。

●今すぐ核を持て
●戦争をする覚悟を決めろ

そうではない。

彼が一貫して投げかけているのは、

「考えるなと言うな」

という一点だ。

嫌われ役を引き受けるという、合理的な選択

核の話をすれば、
叩かれる。孤立する。誤解される。

それは元自衛隊幹部である本人が、
一番よく分かっている。

それでも語るのは、
誰かが“損な役”を引き受けなければ、
国は永遠に思考停止したままだからだ。

人気取りの発言ではない。
むしろ、
自分の評価を犠牲にする前提の問題提起に近い。

核は「理想」ではないが、「現実」ではある

核兵器は、理想の存在ではない。
誰もが「ない方がいい」と思っている。

だが同時に、

●核を持つ国同士は、直接戦争を避け
●核を持たない国ほど、恫喝されやすい

という現実も存在する。

これは思想ではない。
最近の国際情勢が、毎日のように示している事実だ。

被爆国だからこそ、現実から目を逸らさない

広島・長崎の記憶は、重い。
だからこそ日本では、
この話題が封じられてきた。

しかし今、世界がこれだけ荒れている中で、
「考えない」という選択は、本当に平和的だろうか。

被爆国だからこそ、

二度と核が使われない状況を
現実的にどう維持するのか

を考える責任がある。

結論:これは核の話ではない

これは、
核を持つか持たないかの話ではない。

世界が動いているときに、
日本だけが思考停止していていいのか
という話だ。

「核を持て」ではない。
「考えるなと言うな」という話。

田母神俊雄氏の発言は、
最近の世界情勢がますます不安定になる中で、
日本が自分の頭で考え続けられる国かどうか
を静かに問い直している。