“大麻差別”のない国を目指して──タイ社会が乗り越えた壁

「違法か合法か」ではなく、「偏見をなくすかどうか」だった。 2022年、タイはアジア諸国に先駆けて大麻を全面的に非犯罪化した。驚きをもって受け止められたこの政策は、「合法か否か」の線引きを超え、社会に根深く残っていた“差別”の構造そのものに挑戦するものだった。

歴史の転換点──“逮捕される薬草”からの解放

大麻はもともと、タイの伝統医療や生活文化において長年使われてきた。痛み止めとして、睡眠薬として、または農村での生活を支えるハーブとして親しまれていたにも関わらず、1979年に制定された麻薬法により、一夜にして「犯罪の象徴」へと変貌した。それ以来、逮捕者の多くが貧困層や少数民族に集中し、大麻は単なる植物ではなく、社会的スティグマ(汚名)を生む“記号”となった。そして、警察の恣意的な取締や収賄の温床としても利用され、タイの“グリーン”は人々の生活を豊かにするどころか、分断を生む存在にまでなっていた。大麻が「違法」となったことで、農村で栽培していた高齢者や、使用していた病人までもが逮捕の対象となった。地方の村では、伝統的な薬草療法の知恵が一夜で“犯罪の技術”に変えられたことへの怒りや戸惑いが、長く残り続けた。

政治を動かした“患者の声”

転機となったのは、末期がん患者を中心とする医療大麻の合法化運動だった。「鎮痛剤が効かない。息子に大麻を使わせてあげたい」という母親の声がメディアに取り上げられ、世論は急速に動いた。保健省や進歩的な政治家たちがこれに呼応し、医療大麻クリニックの開設や伝統医療との融合を推進。2022年には非犯罪化にまで踏み込むという、急進的とも言える舵を切った。背景には、高齢化社会の中で急増するがん・慢性痛患者への新たなケアモデルとして、医療大麻が期待された側面もある。また、観光・輸出産業としてのポテンシャルを見越した経済界からのプッシュも、政治を動かした大きな要因の一つである。

社会が直面した“意識の壁”

法律が変わっても、すぐに偏見が消えるわけではなかった。「合法化されても、吸ってるやつは“ダメ人間”と思われる」「家族や職場で、まだ堂々とは話せない」こうした声は、都市部でも地方でも根強く残っている。特に学校や医療機関、宗教施設では、大麻を話題にすること自体が“タブー”視される場面も多い。だが、変化はゆっくり、しかし確実に始まっている。バンコクの一部大学では大麻に関する研究センターが開設され、教育現場でもオープンな議論が可能になりつつある。また、チェンマイやクラビーなどでは、若者が「偏見のない未来」を掲げて大麻文化を祝うイベントを自発的に開催する動きも出てきた。さらに、SNSの力も後押ししている。タイ版TikTokやInstagramでは「#合法大麻」「#CBDライフ」などのハッシュタグが急増し、使い方や効果、副作用などの情報を共有する若者たちのムーブメントが広がっている。

大麻を通して見えた、“タイらしさ”とは

タイは、仏教に基づく「中道思想」や「寛容さ」を文化的価値観としてきた国である。大麻に関しても、最終的には「人を裁くより、理解する」姿勢が広がり始めた。実際、合法化後のタイは、使用者を非難せず、使い方やマナーを重視する社会的コンセンサスを形成しつつある。「酔った状態で公共の場に出るのはNG」「未成年には使用させない」など、規制ではなく文化としてのモラルが整いはじめている。特筆すべきは、地方の寺院やコミュニティセンターで“大麻との正しい付き合い方”を伝えるワークショップが始まっていることだ。僧侶や地元の医師が登壇し、精神性・倫理性の側面からも、大麻との向き合い方を説いている。

“差別なき社会”の実現は、ゴールではなくスタート

大麻が合法化されたからといって、すべての差別が消えるわけではない。だが、“薬草を吸う”という行為をめぐって、人間をジャッジする社会からの脱却に、タイは一歩を踏み出した。そしてそれは、単なる法改正以上に、「人と人との関係性を問い直す」文化革命であったのかもしれない。重要なのは、今後この流れをどこまで社会全体に浸透させられるかだ。教育、メディア、宗教、医療──それぞれの現場で、いかに“偏見のない対話”を育てていくかが、次の課題となる。

未来への問い

「大麻を吸う人を見て、あなたはどう思うか?」その問いの答えが、“合法・違法”というラベルではなく、共感と理解に根ざすものになる時、タイは本当の意味で“差別のないグリーン国家”になるだろう。