サイプレス・ヒルが築いた“緑のレガシー”

ヒップホップに〈カンナビス文化〉を植えた革命者たち

ラップで「ウィードを吸う」と言うことが当たり前になる前に、それを本気で、繰り返し、文化として叫んだグループが存在した。Cypress Hill(サイプレス・ヒル)。1991年のデビュー以来、彼らは「マリファナ=悪」という社会通念に対し、 サウンドと思想の両面からカウンターを仕掛けた。このラテン系ヒップホップグループが刻んだ“緑の軌跡”は、単なる音楽表現を超え、社会運動、政治、サブカルチャーにまで波及していくことになる。

デビュー当初から「大麻上等」の姿勢

サイプレス・ヒルの特異性は、デビュー作からすでに際立っていた。1991年の1stアルバム『Cypress Hill』には、「Stoned Is the Way of the Walk」「Light Another」「Something for the Blunted」など、露骨かつ肯定的に大麻を称える楽曲が複数収録されていた。当時、ラップといえばまだ“反ドラッグ”や“社会批判”が主流だった中、彼らはむしろ、「吸ってこそ自由、吸ってこそ哲学」というスタンスを打ち出した。特に1993年の2ndアルバム『Black Sunday』は、大麻文化を全面に押し出した象徴作となった。全米Billboard 200初登場1位を獲得しながら、ジャケット裏にはマリファナの歴史と医療的効果を説くインフォカードを同封するという徹底ぶりだった。

名曲「I Wanna Get High」「Hits from the Bong」は、いまなお420カルチャーの定番曲としてリスペクトされている。

社会運動と連携した“カルチャー・アクティビズム”

サイプレス・ヒルは単なる“おもしろ半分のスモーカー”ではなかった。彼らは早くから全米大麻合法化推進団体「NORML」と連携し、大麻文化を“反抗的ライフスタイル”から“正当な主張”へと昇華させようとした。メンバーのB-Realは、

「俺たちはただ吸ってるだけじゃない。吸う意味を説明してるんだ」と語る。

1990年代当時のアメリカでは、大麻は「ゲートウェイドラッグ」=重犯罪者への入口と見なされていた。その風潮の中で、サイプレス・ヒルはライブ、メディア、ジャケットアート、パブリックコメントすべてにおいて、ポリティカルな大麻発信者となっていく。有名な逸話に、NBC『Saturday Night Live』の生放送中にスタジオでマリファナを吸い、番組を出禁になった事件(1993年)がある。それは“炎上”というより、大麻文化を公的空間に持ち込むという意志的行為だった。

後続ラッパーたちに与えた“文化的免罪符”

現在、Snoop Dogg や Wiz Khalifa、Redman & Method Man らが当たり前のようにマリファナをテーマにできているのは、サイプレス・ヒルが“言葉の地雷原”を最初に踏んだからだ。Snoopは初期インタビューでこう語っている。

「あいつらがいなかったら、俺たちはこんなにウィードを公言できなかった」

Redmanは彼らを「ヒップホップ界のチーチ&チョン(大麻コメディの伝説的コンビ)」と例え、“カルチャーそのもの”を作った功労者としてリスペクトを惜しまない。実際、サイプレス・ヒルのように音楽・視覚・政治・行動すべてを一体化させた大麻アーティストは、それ以前には存在しなかった。彼らは「マリファナをテーマにしても音楽的に成功できる」という前例を作ったことが最大の革命だ。

大麻文化の“信頼性”を構築した存在

大麻を語るアーティストは今や数多い。だがその多くが「趣味」「快楽」「ステータス」としての喫煙を描くのに対し、サイプレス・ヒルは一貫して「文化的必然」として大麻を描いてきた。彼らにとって大麻とは、ストレスからの逃避ではなく、精神的調律、反社会的行為ではなく、反権威的態度、音楽的演出ではなく、生き方そのものだった。それゆえ、彼らの“スモーク”は軽薄に見えず、むしろ信念としての一服だった。

「吸うこと」が、革命になる時代を先取りした

サイプレス・ヒルが始めたのは、単なるジャンルの拡張ではない。ヒップホップという媒体に、“嗅覚的”メッセージを持ち込んだこと。そして、煙そのものを政治的表現に転化したことだった。大麻の煙を吐く彼らの姿は、単なる“カッコつけ”ではなく、意思表示であり、文化発信だった。彼らのレガシーは、いまも420の日に再生され、次世代のラッパーの肺とマイクに受け継がれている。