中山康直が語る“縄文リバイバル”──現代文明への警鐘と精神回帰の道

「私たちは、すでに“未来”を生きているのではない。思い出すべきは“過去”なのだ。」 この言葉は、現代の文明批評家・中山康直がたびたび口にするフレーズである。彼にとって、「進化」とは直線的な上昇ではなく、螺旋的に過去へと回帰しながら、霊的次元を取り戻していくプロセスだ。中でも、中山氏が最も注目し、その思想の核となっているのが「縄文」なのである。

なぜ「縄文」なのか?

現代日本人にとって、「縄文時代」は学校教育で通り過ぎる歴史の一コマでしかない。しかし中山康直は、縄文を「最も洗練された精神文明の象徴」として捉える。そこには貨幣経済も支配構造も存在せず、人間が自然と共鳴しながら“調和”を中心に営まれていた「宇宙的な社会」が存在していたという。 彼は縄文人の感性を「直観的・共鳴的・霊性的」と分析し、現代社会に欠落してしまったその感性こそが、これからの地球時代に求められていると説く。 「縄文人は“神とつながるため”に生きていた。今の私たちは“金とつながるため”に生きている。」 この一文が、中山康直の文明観を端的に表している。

共鳴の文明から、分離の文明へ

中山氏の言う「文明の転落」は、縄文から弥生への移行に端を発する。定住・農耕・稲作・中央集権。つまり“秩序”と“効率”を優先する弥生的価値観が、日本人の精神性を変質させていったというのだ。 縄文の世界では、すべての存在は「共鳴(レゾナンス)」しあっていた。植物や動物はもちろん、石や水、火や風とも意識的に交流していたという。ところが、現代の人間は“頭”を使いすぎ、“身体”と“霊性”を置き去りにしてしまった。 この「分離」の果てに生まれたのが、今のテクノロジー社会であり、自然破壊や精神疾患、アイデンティティの喪失といった現象なのである。

縄文リバイバルとは、精神のリセット

では、「縄文リバイバル」とは何を意味するのか? 中山氏によれば、それは単なるノスタルジーや原始回帰ではない。むしろ、それは「高度情報社会を突き抜けた先に現れる、次元上昇のトリガー」である。 縄文リバイバルとは、情報に疲れた現代人がもう一度、“感じること”を取り戻し、音・香・風・肌触りといった五感を再起動させる行為である。自然と向き合い、土に触れ、自分の鼓動に耳を澄ませる──それこそが、縄文的ライフスタイルの核心だ。 彼はそれを「感性の霊性回復プロジェクト」と呼び、自らも神社巡礼、麻の再評価、天空観測などを通して実践している。

都市に縄文を取り戻せるか?

では、こうした精神的な縄文性は、テクノロジーと経済に支配された都市空間でも取り戻すことができるのだろうか? 中山氏はそれに対して「Yes」と答える。 たとえば、「屋上緑化」や「麻の服」「珪藻土の壁」「クリスタル音響」など、都市の中に“小さな縄文”を宿らせる試みはすでに始まっている。現代の生活様式の中に“共鳴ポイント”を点在させ、そこから波紋のように精神が回復していく。中山氏の目指すのは、都市と自然の融合による「縄文テクノ・スピリチュアリズム」だ。 「文明は滅びるが、精神は滅びない。だからこそ、“精神の回復”こそが本当の復興なんだよ。」

結び──記憶の再起動へ

中山康直が唱える「縄文リバイバル」とは、過去の理想郷に逃げることではない。それは、あらゆる混乱を経た現代人が、魂の深層に眠る記憶を呼び覚まし、自然と響きあう感性を取り戻す“再起動”の旅なのである。 私たちが向かう未来は、実は「かつてあった真の文明」への回帰に他ならない。科学と精神、都市と自然、過去と未来──そのすべてを結び直すのが、「縄文」というコードなのだ。